誰のためでもなく

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迷い道クネクネ

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 渡辺真知子の「カモメが飛んだ日」で、歌って感情のピークから始まることもあるんだ!と感動した40歳目前のオヤジです。

 さて、渡辺真知子さんの歌で、歌詞に「♪迷い道 く~ねくね~♪」ってのがありました。

 この写真はペンタックス67で撮ったものです。恥を忍んで言いますが、ペンタックス67で撮影した写真は、自分ではかなり「当たり」のものが多いと思ってます。これももちろんその一つ。

 このカメラを買うまで、一体何台のカメラとレンズを売ったり買ったりしたことでせう、、、。

 じゃあ、最初っからペンタックス67をゲットしてシャッターを切っていたらこの写真を撮っていたか?と自問すると答えはノー、ということもまた明白な事実。

 写りに定評のあるライカレンズを使って撮った写真はやはり、盗撮紙一重のスナップ写真ばかりでした。ライカで風景をじっくり、ってのはゼロだった。ハッセルは手持ちのスナップも花も、風景も一番、オールラウンダーとして使ったな。ハッセルをでかいって人がいるけれど、中判フィルムを使うカメラなら最軽量の部類に入ると思う。むろん80mmレンズをつけてって前提だけどね。電池なくてもシャッター切れるし。

 ペンタックス67で手持ち撮影はほとんどしたことがありません。きっとそれが功を奏しているのでしょう。三脚に乗せて絞り込み、じっくり撮る、ってのが今住んでいる場所を撮るのには一番いいのかもしれません。

 札幌に住んでいた頃はライカを首から下げていたことが多かった。転勤して自然の豊かなこの土地に来たのはきっと写真の神様が、新しい被写体を自分に与えてくれたということなんだろう。

 感謝。

 そうそう、八神純子と久保田早紀の話は今度、、、
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by hohoho-bw | 2009-02-25 23:06

千本ノック

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 ブログというものができて、本を買わなくなったように思う。
読み物として十分面白いものがあるから。

 今一番眺めるのは写真のブログだ。
自分も含めてしょうもない写真の自己満足ばかりであるが、中には自分が及ばないクオリティ満載の秀逸なものもある。

 カマウチさんのブログがそれだ。

 正確にはHPの文章なのだが、「写真を撮り続けることは千本ノックだ」という趣旨のものがある。
乱暴にいうと、写真を撮って撮って撮り続けて、一年なり二年後になっても残っているものがあればOK。明らかに嘘くさいものはふるい落とされていく、と。

 「嘘くさい写真」とは、自分の解釈では『誰かのマネ』写真だと思う。
もしくはレンズの特性に頼りきった写真。
「●●は開放の滲み方が、、、」とか、コントラスト強めの粒状性upで▽山◇道風とか、、、。

 自分も写真を始めたとき、カメラ雑誌に掲載されている写真を見て「こんな写真が撮りたい」と思い、その人の機材をそろえてまねたような写真を撮ろうとしたことがある。しかしそもそも見ず知らずの他人に声をかけて撮らせてくださいとは言えないので結局むりだった。

 でも写真の楽しさは日を追うごとにつよくなり、どんどんのめりこんでいった。
大きなフィルムで撮った写真をプリントしたときの感動は今でも忘れられないし、デジタルカメラと高倍率ズームだからこそ撮れた瞬間はテクノロジーに感謝した。

 自分が撮り続けてきた写真をざっと眺めてみる。嘘くさい写真は見て顔から火が出る。でもたまに「おっ!俺、こんないいの撮ってたんだ」とうれしくなることもある。だから今、樹を撮り続けているのは何とも不思議だ。

 これからどんな被写体に魅力を感じていくのか?それは自分でもわからない。ただ言えるのは、写真を撮るりつづけていって、どうなっていくのかだけはとても楽しみだ、ということ。

きざな言い方だけど「写真についての自分の冒険」はまだ続いている。
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by hohoho-bw | 2009-02-25 21:03

何を撮るのか?

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 マグナムの会員・ヨゼフ クーデルカの写真集「プラハ侵攻」を買った。洋書は今、円高なので買いらしい。

 クーデルカといえばハービー山口氏の若き頃の思い出話にも登場し、ライカを使っていたらしい。

 「exiles」はあまりそそられなかったけど、これはと思い買ってみたのだが、、、

 正直あまりピンとこない。

 戦争写真はたくさん見たつもりだし、ヨーロッパの石畳に戦車と兵士、それに市民という構図は確かに「絵になって」いるけどそれ以上のものは正直、僕には伝わってこない。

まあ、そもそも戦争写真を撮ることで、世の中に悲惨な状況があることを知らしめる、という崇高な御題目を唱える写真家も、もっと根源的な欲求としては「そこに行ってみたい」と、ただそれだけなんだろう。不肖・宮嶋もクーデルカも、そう思っているのではないか?

硝煙と血の匂いの中、自分がどんなことを感じるのかに興味があり、そのために危険を冒して渡航する。
それは自分という存在が極限状態でどう化学反応するかに対する興味の追求であり究極のエゴを満たす行為である。なんと贅沢なんだろう。

 過日見た、厳冬期も含めた大雪山を撮影した林名輝氏も「別に山のピークを踏むことにこだわっていない。大雪山を自分の足で踏んでその空気感みたいなものを写したい」と言っていた。あれだけ重い機材を担ぎ、時にはポーターを雇い、ガイドを雇い、ヘリをチャーターしてまでいままで見たことのない大雪山をカメラに収める。この行動力の根源は「ただそこに行ってみたい」だけだと思うのだ。

 写真は日常を撮ることだけでも成立するが、それとは対極にあえて非日常に身を置き、それを写真に撮ることって、とても幸せなことだなと思う。

 いずれにせよ「撮りたいもの」が明確な写真家はそれだけでもう完全だ。
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by hohoho-bw | 2009-02-24 23:12

歳をとるとノンフィクションが好きになるのはどういう訳だろう

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 久しぶりに札幌に帰る予定。

 ヨドバシカメラで三脚をじっくりみて、ススキノで遊んで、カチっとしたバーで酒を飲む。
あ、そうそう、ジンギスカンも食べなくちゃ。

 札幌にいるならライカを持ち歩くのが気分だ。

 今の土地はやはり中判カメラとデジタル一眼レフ。でかいカメラで、でかい自然と対峙するのだ。

 ところで富士フイルムから6×6と6×7を撮ることができるレンジファインダー機が発売されるね。

 正直あまり興味なし。だってペンタックス67とハッセル持ってるしね。

 予約した人います?
 
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by hohoho-bw | 2009-02-24 22:29

けちるとロクなことはない、ってお話

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 林明輝写真展での本人の話でこんなのが

 大雪山は7月でも雪が残っている。いわゆる雪渓ってやつだけど、その積雪の下に雪解け水がちょろちょろ流れて下から溶けていわゆる雪洞ってのができる。もちろん水が流れているそばには愛らしい高山植物が咲いていることも多い。

 雪洞の下の高山植物、背景には今まさに落ちようとしている真っ赤な夕日。そのドラマティックな光も5分もすればなくなる。明日は天気がいいという保証もない。それにその雪洞だって崩壊してなくなるのは明白だ。そしてその夕日に輝く花を撮るために林氏は24枚ブローニー7本のシャッターを切ったが、逆光だったのとハッセルの30mmを使っていた(これはハッセルのレンズが悪いのではなく、超・広角だという事実を表すため)ためフレアやゴーストそのほかの悪条件で、「これだ」と言えるカットが2つしかなかったらしい。

しかし、この写真は彼の生涯ベスト3に入るものになった。

 林氏は淡々と言う「写真を撮っていて『これだ!』という作品が撮れる確率なんてそんなものです。」

 そうだよな~。おれもポジの現像が上がってきてダメな写真ばっかあっても落ち込まないようにしようっと。
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by hohoho-bw | 2009-02-23 16:39

あたしゃ夜も寝られなくなっちゃう

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 昭和の漫才で「地下鉄はどうやって地下に入れたのか?」という疑問をもつ人がいた。

 「カメラマガジン」vol、9を入手。読んで見た。
相変わらずフィルムカメラが中心の記事内容。フィルムカメラで撮った作品。いつの間にかコシナの新レンズを使った作品が巻頭に載るようになったのね。

 それにしてもこの雑誌、記事の写真はデジタルなのか?フィルムなのか?
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by hohoho-bw | 2009-02-23 12:04

林明輝写真展に行ってきた。

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 東川町で開催中の林明輝写真展に行ってきた。

 本人も登場。自作を熱心に解説。彼の大雪山ガイドも加わり「なるほど」と驚くこと満載の楽しい時間。
林氏いわく
・露出計は使わない。頭に入っている露出計はほぼ完璧。露出を図るくらいなら構図を探すほうが重要。なぜならフォトジェニックな光の時間はごくごくわずかだから。
・ハッセルのときは220フィルム、つまり24枚撮りを使っている。これは納得。フィルムチェンジめんどくさいし。
・ほとんど不眠不休で撮ることも多い(39歳同い年。タフガイ)
・年々温暖化により、大雪山のお花畑がササやぶにとって変わられている。また、2000m級の山の上でもくっきりした朝焼けが少なくなった。これは大気の汚れにより太陽光がダイレクトに山肌に当たらないせいか?

 いや~、それにしても圧巻だったのはパノラマカメラで撮影された大雪山のプリント。縦1m×横3mの超・ド級。風景好きなら絶対見るべし!「富士フイルムさんの協賛により実現した」と言っていたので、プリントはお願いしたのだろう。それを裏付ける証言として、自信作があったのだが富士フイルムさんに(プリントするのを)遠慮された、と言っていたから。どれくらいの値段するんだろう?つなぎ目のない屏風のようなプリントで富士のGX617ってカメラとレンズが300mmと180mm。縦位置で日高山脈の稜線を撮った写真はしびれる。コメントで「ヘリによって吐物がジャケットを汚すが構っていられない。シャッターチャンスに全力を傾注する」と言っていた。

 林氏のプリントを見て感心したのは、「黒くつぶれている部分はつぶしてる」こと。
デジタルカメラのアクティブDライティングとは対極。しかしだからこそ浮かび上がる「マジックアワー」を、彼は確実にフィルムに閉じ込めているのだ。

 彼の作品にはそういった、自分の美意識に対する決然とした意思があふれている。

 3月9日まで。ぜひ見に行くことを勧める。
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by hohoho-bw | 2009-02-22 19:42

好きなタイプと付き合うタイプは同じですか?

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 僕は違います(爆)

 さて、写真を趣味としていると、他人の作品を見て思うのは「機材はなんだ?レンズは?フィルムは?」と考えます。虚心坦懐にその写真のすごさに感心すればよいのでしょうが。
そして、その機材を手に入れると自分もすごい写真が撮れると勘違いして、一体いくら日本経済に寄与したのでしょう。挙句の果てに恋い焦がれたはずの機材をあっさり売却してしまうのです。

 しかし、最初は「まあ、なんか適当に」買った機材でも、それで自分がほれぼれする写真が撮れたら、その機材のことを大好きになってしまうのは、まあ、健全なことと言えるでしょう。「フィルムを入れない」のが前提のライカを夜な夜な愛玩していても、それで写真を撮らなければカメラとは言えないと思うのであります。

 さて、最近自分が好んで撮影するテーマと、ペンタックス67はベストマッチです。全紙にプリントしたい、と思いきれる写真もすべてこのカメラで撮りました。下世話な話ですがこれはボディが中古で5万円、レンズは2万5千円でした。しかし、中判フィルムのものすごさを堪能させてくれるいいやつです。

 このレンズは解放値が少ないので、ボケ味を生かした作例が多くネットに落ちてますが、小生はぎっちりしぼって三脚を使って写します。とくにパンフォーカスの画面にすることによって、その写真の奥まで覗きこめるようにしたいからです。まあ、小生が今狙っている被写体はこういう撮り方をするのが一番いいと思っているせいでしょうけど、これでポートレートとか撮るんだったら解放値の少なさは生きてくるでしょう。残念ながら人を撮ることにまったく興味ありませんけど。

 残念ですがハッセルで撮影した写真で、全紙はおろか外注プリントを決意させてくれる写真は撮れてません。いろいろな機材を売ったり買ったりするなかでこれだけは一番長く小生の手元にあるのですが、、、やはり正方形フォーマットは奥が深い。

 そうそう、ライカを使っていたときは、親しくさせていただいていた方のポートレートをうまくとることができました。このころは人を撮ることに興味があったのかな?まあ、これでライカにはかなりハマったわけです。それ以降、会社に行くにも携えていたときに撮った写真が下のものです。
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by hohoho-bw | 2009-02-22 00:21

戦国自衛隊

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 「歴史に“もし”はタブーだが」といわれると、そのタブーを冒してみたくなるのが人間。人は妄想する楽しさを知っている。

 暇なので「もし1941年くらいに現在のスペックのデジタル一眼レフがあったら」と想像してみよう。

 まずは、キャパが活躍した第二次世界大戦時代。ノルマンディー上陸を撮影した名作はどうなるだろう?映画「プライベートライアン」の冒頭のシーンは圧巻だが、あの場に身を置いて死ななかったキャパの強運もさることながら、海水まみれになってなお作動する機械式カメラだからこそ撮れた写真なのだろう。そうなると家電製品である現在のデジタル一眼レフは無理だ。まあ、シーリングに入れてりゃべつだろうが。

 次に、ちょっと時代は飛んでベトナム戦争。このころはニコンから一眼レフのニコンFが発売され、広角35mmをつけたライカ(もしくはニコンSP)と望遠135mmをつけたニコンFというのが従軍カメラマンの標準的装備だったと思う。
 高温多湿のジャングルでデジタル一眼レフがどこまで作動するかははなはだ疑問であるが、少なくとも暗いジャングルでの戦闘をISO(当時はASAだ)6400あたりで撮ると、暗闇に潜むベトコンのぎらついた眼が思わず撮れていたりして、ゾクゾクしてくるのではないか?沢田教一の「永遠への逃避」はライカにビゾフレックスをつけて撮られていたし、酒井淑夫の「よりよき頃の夢」はあのどしゃ降りの中で撮られたからこそ素晴らしいのだが、それは防水に神経をあまり使わなかったり、電池の消耗に気を使わないからこそ可能だったんだろうか?

 まあ、フィルムの交換、という作業は煩わしいだろうが。

 フォトジャーナリズムではもうデジタル一眼レフの使用が当たり前になってるけど、いわゆる戦争に実戦投入されたのは湾岸戦争だろうか?砂がカメラやレンズの隙間に入り込んでじゃりじゃりしたとは聞いたがそれ以外のマイナス要素ってあったのかな?

 映画「戦国自衛隊」はリメイクされたらしいけれど見ていない。反乱をおこす渡瀬恒彦がよかったなぁ~、あの映画。
 
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by hohoho-bw | 2009-02-21 23:26

ライカ=回転寿司

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 ライカがほしいのだが、金がない。

 借金も厭なので、我慢。

 各中古カメラショップのサイトでライカの欄を見て、ちょっと前なら「今、これポチっとしなかったら誰かにとられちゃう」と自分を失っていたが、そうでもないことに気づいた。

 ここで唐突ではあるが「中古ライカ=回転寿司」論を述べたい。

 ライカボディ(ここではあくまでM型フィルムカメラのみをさす)はそのブランドから盛んに中古市場で売買されている。資金繰りに困ったり、やっぱり使わなかったりするライカを放出し、ライカに発情している人は嬉々としてそれを買うのだ。

 たまたま自分が「ズミルックス35mmの2nd」がほしかったとしよう。ネットで検索し程度と値段をチェック。今は在庫がだぶついているが、なんらかの外的要因(某自称ライカ使いイケメン俳優が使っているレンズを「これ~、ズミルックスってゆ~んですよぉ~、なんてゆ~か、滲みがいいんでぇ~』と公式に発言した後など)により在庫が急激に払底するとしよう。

 まるで、回転寿司屋にて「握りたての大間産、マグロが出ました」というアナウンスで目の前に回遊する皿の中からおそらく黒い皿にのっているであろうそれを検索するのだが、残念ながら自分の所まで来る前にすべて誰かの手に落ちてしまうのと似ている。

 ただし、これが重要なのだが、どちらも「待てば絶対、好みのものが出てくる」という、これは真理である。また、なければ勇気を振り絞りでかい声で「マグロ握ってください」と言えばよい。
 
 特にライカって、実は非常に使いづらいカメラ(異論は受け付けません)だし、今はデジタルへのシフトがドラスティックに行われているから、最初は「俺、どんなことがあっても一生、フィルムで撮り続ける」と決意した方も「やっぱ、現像代金がかさむのがきつくて」となるのが、すべてとは言わないが世の趨勢であろう。

 金は天下の回りもの、というがライカもこれに当てはまると思う。
 特に今の景気状態であればなおのこと、放出されるライカは増加傾向にあるとおもわれる。まあ、M8.2を買うための里子、というパターンもあるだろうが。

自分もライカを売ったり買ったり、繰り返したクチだけど、何年かのちに自分が放出した機材が手元に来たら面白いよな。「ベルセルク」の「覇王の卵」みたいで、、、
 
 でもさ、ライカの神通力ってどこまで持つのかな?フィルム一眼レフは値段総崩れなのに、おかしいと思わない?なんか、貨幣の信頼性に思いをはせるよね。政府発行紙幣が現実になったら日本人は「100円の価値」を共有できるのかな?
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by hohoho-bw | 2009-02-21 14:44