ラブレター
森山大道がカメラにこだわらない写真家であることは有名だが、そのことをアラーキーはうまく表現している。
「いくら素敵なラブレターをかこうとしても、筆記具がないと書けない。しかし、ラブレターを書くのは鉛筆でもボールペンでもいいんだ」と。
確かにそうだ。
しかしここでさらに踏み込んで考えてみると、「心に響くラブレター」にするためにはほかの要素も大事なのだと思う。
まあ、あまりメタファーに拘泥すると文章の趣旨を逸脱するのだが、森山氏の最大の武器はやはり
・現像、プリント
だと思うのだ。
伝説として、液温もばらばら、プリントのの露光メモなんかとらないなどがあるけれど、渡部さとるさんが高校生の頃、毎日カメラの懸賞で当たった「森山大道のオリジナルネガ」をストレートに焼いただけで、あの「森山調」が出たという。
シャドーはドスンと落ち、諧調はすっかり残っていたそうだ。
残念ながらそれは紛失したらしいけれど、今なら持てるすべての技量を使ってプリントするのに、と残念がっていた。
森山氏の写真でブレッソンみたいな「一分の隙もない構図」はあまりないと思うしそんなこと指向してもいないと思う。そうなるとなおのこと、彼の写真のキモは「プリント」にその比重が大きいのではないか?
むろん、その時の光線状態とか構図とかも無頓着とは言わないけれど。
写真家になる前、彼はデザイナーだったし、ウォーホルに影響を受けたと言ってるし、自分の写真がTシャツや時計の文字盤に印刷されて世の中に流布されるほうが嬉しいと言っていた。
そう考えると、彼はたまたま写真家と呼ばれているのであって、もしかしたら違う呼び方のほうがふさわしいのかもしれない。むろん、写真という方法論に対する様々な実験や貢献は写真史にに残るものだと思うけれど。
じゃあ、「写真家」の定義は?って?
それはまた今度。